つかえている人

 筑波で写真のグループ展に参加している。遠いんだけれど、まあしかたない。

 実を言えばいつも都内で参加しているグループ展には出なかった。去年、新たな参加者を推薦し、その人を無視されたからだ。無視された理由は簡単。スカウトのひとりである女性が、ぼくが推薦したひとを嫉妬したから。二十年近く写真をやっているのに芽が出なくて、ぼくが推薦した人が写真を始めて五年くらいで銀座のニコンで展示してしまったからだ。そこで展示したら、自称ではなくて本当に写真家と名乗ってもかまわない。

 で、推薦したのに参加させてもらわなかった人は、嫉妬で外されたとは知りもせず、スカウトである女性と仲良く接している。裏を知っているのはぼくだけ。嫌気がさして今年は参加しなかったというわけだ。

 そうした事情もあって今年は筑波に参加した。でも、どこに行ってもおかしな人はいるもんで。展示の初日の夜はオープニングパーティーだった。そこへ1966年生まれだといういかついおっさんがやってきた。写真をやっている人なんだという。グループで活動しているらしい。だけども、別に世に出ている人ではないし、プロレスで言ったらインディーレスラーのまま歳を取ってしまったタイプ。そいつが今回の出展者である女の子を泣かしていた。大学の四年生で、初めて写真の展示をした子だったのに、なにやらキツイことを語ったらしい。ほかの女の子にも説教じみたことをしていて、その子は明くる日に展示内容をがらりと変えていた。前のほうがよかったのに。

 老害っていつから始まるんだろう、なんて思っていたけれども五十代なのかもなあ。それにしても、そのおっさんのやっている写真と、今回の写真展の趣旨はまるで違う。それなのに偉そうになにを意見しているんだ、と。メジャーになれなかったインディーレスラーのなれの果てが、地域密着で楽しい板橋プロレスみたいなところへ行って、「闘いがない!」なんて説教しているようなもんだ。ほっとけよ。おまえこそメジャーにたどり着けなかったくせに。