東北

 そういえば先輩のクマガイさんからライブのお誘いが来ていたのだが、スケジュール的に無理でお断りした。久々に東北に行きたかったのだが。できるなら雪が降る前にもっと北に行っておきたかったのだが。なぜだが最近よく盛岡にいたころのことを思い出す。お金がなくて時間ばかりあったから、歩いてばかりだった。雪の中、盛岡駅から山岸に行き、そこから県営球場の下を通って高松の寮に抜けた。そんなのはしょっちゅうだった。長い長い時間をいろんなことを考えながら歩いていたんだろうなあ。いまとなってはなにを考えていたのか思い出せない。きっと手の届く半径一メートルくらいのことばかり考えていたのだろうけれど。ときどきは立ち止まって降りしきる雪を見上げて、呆然としたり、未来に対して漠然とした不安を感じたり、わけのわからぬ高揚感で雪道を走ってみたり。北上川沿いを歩くのも好きだった。フジタ君のアパートに向かうときによく歩いた。白鳥の声が不協和音みたいに響いていて、母の蔵書の『白鳥の歌なんか聞こえない』をよく思い出した。白鳥の歌――誰かが死ぬときの歌。庄司薫がこの本を刊行したのは母がぼくを身ごもっているあいだのこと。母は身ごもっているあいだに読んだのか、出産後に読んだのか。まだ聞いていなし、いまさら聞くのもなんだかな、という感じだ。で、庄司薫はまだたしか生きている。総退却して小説をもう書いていないんだ。