テレビ

 ごはんを食べているときは必ずプロレスか野球を見ている、と言ったらドン引きされました。だって夕食の時間帯のバラエティー番組っていまいちのれないんだよねえ。せめてニュースかなあ。録画しておいた全日本プロレスチャンピオンカーニバルの決勝戦を見る。大森さんが優勝したのはいいが、興行自体が10年ほど古いイメージがある。どんな業界でもそうなんだろうけど若手を売り出し、プロフェッショナルを生かす、という流れを作らなくてはうまく繁栄を呼び込めないんじゃないかと。

 あとはトップレスラーの三すくみを作らないと。ジャンケンのグーチョキパーのように。もちろんキャラ分けでもいいんだけれど。ぼくはこれを勝手に三銃士システムと呼んでいる。絶対的ベビーフェイス/太陽のような感じの武藤、ダークヒーロー、ダーティーヒーロー/黒のイメージである蝶野、この二人が陰と陽になってほかのレスラーの色分けを生むんだよね。派閥というか。そして、シュートが強いとされる橋本。この三つのキャラによって1990年代の新日本プロレスは隆盛を誇ったわけだ。
 実はいまの新日本プロレスが、ぐっと上がっていったのは、太陽の棚橋、ダークヒーローの真壁、シュートの強い中邑という三本柱が建ってからだった。そこへレスリングスタイルとしては古いがキャラもビジュアルも現代的というオカダが加わって黄金期ふたたびとなったわけだ。WWEも太陽のロック、ダークヒーローのオースティン、シュートのカート・アングルがいたからこそ。四天王時代の全日は三沢が頭抜けていてその住み分けが崩れた感じ。太陽の小橋、ダークヒーロー&シュート(も強いとされていた…)川田。でも、象徴として三沢が強かったので太陽的でもあり、シュートが強いともされ。

 まあ、こういう三つの色分けは結局は観客側から見てわかりやすいキャラ付けでもある。だけど団体内の強さのピラミッドを作ったときに、違ったタイプのレスラーたちが頂点を目指すから面白いわけであって、いまのNOAHや全日が面白くないのはレスラーたちが似たり寄ったりだからだ。思うに太陽役のレスラーってなかなか出てこない。武藤、棚橋、小橋のような絶対的ベビーフェイスができるのは、ちょいとズレたところがあって、ナルシスティックなくらい自分が好きで、一途でないと。みんなこれができなくてショボいヒールレスラーに降りてしまう。また、太陽がないと反体制側も生きないしね。で、太陽がないところはみんな反体制みたいな軍団/ユニットが増殖するだけになる。みちのくやNOAHみたいに。新日がジュニアにおいて太陽型の飯伏を連れてきたのはいい判断だったんだろうなあ、と。

 なんてことをごはん食べてプロレス見ながら考えているのよ(笑)