センチメンタル

 なにをどこまで覚えていられるのか、ということを考える。たとえばむかし付き合っていた女の子の誕生日。覚えている子と覚えていない子がいて、記憶はまだらだ。老人がむかしのことばかり覚えているというのは、あれはどういう記憶の働きなんだろう。ただただ脳が老化してきて最近の記憶、つまり短期記憶を覚えられないようになるのだろうか。それは42歳のぼくにも始まっていることなんだろうか。盛岡の街の様子は仔細に思い出せる。最近はなにごともうろ覚えだ。悲しいのは仔細に思い出せる盛岡の街並みが、きっともういまは変化してしまっていることだ。覚えていることほど、もうない。そういう気持ちを味わいながらこれからは生きていくんだろうな。よく覚えているマンガの漫画家が亡くなったり、よく覚えている歌詞のバンドがなくなったり。身を入れて読んだり、聞いたりしたものほど、センチメンタルを呼び起こす。なにもないところにセンチメンタルは生まれないからさ。