がんこ

 うちのわんこは飼い主に負けず劣らずの頑固者だ。いつもウンチしているところじゃないとウンチしない。で、いまは足を痛めてひょこひょこ歩いているので、そのウンチスポットまで行けず、ウンチをしない。しかたがないので近くのウンチスポットがいくつもある大きな公園まで車でのせていき、あとは歩いて散歩してウンチさせる……。そんな日々である。

 夜はカメラ知り合いの夫婦のところにご飯を食べに行く。ひとりで食べるのはなんなのでけっこうありがたい。今回は夫婦の大学時代の友人が四人来て、そのうちのひとりの彼女も来て、ぼくの知り合いのカメラ女子もひとり来て、大賑わいとなっていた。
 この夫婦のうちには大学の同級生が何人も来る。この日来ていた同級生以外にもぼくはあと3人知り合いとなった。出身大学のやつらといつまでもつるめるのは東京ならではなんじゃないだろうか。たとえば岩手は広い。同級生は就職とともにちりぢりになっていき、あまりに広範囲に散らばるのでなかなか顔は合わせられない。
 また、ぼくの場合いろんな土地を転々としている。同じ仲間に囲まれて一生を過ごすといった人生じゃなかった。ぼくは中学も高校も大学も大学院もそれからアルバイトも、それなりに仲間がいたはずなのだけれど顔を合わさない日々を過ごしている。みんな置いてきてしまった感覚。だから、ずっといっしょに過ごせる彼らがうらやましくもある。
 ずっと違うカルチャーと出会いながらの転々とした生活。おかしいな、こんなふうになるつもりはなかったんだけれどな。きちんとファミリーこさえて定住地も見つかっているはずだったんだけれどな。泊まるべき港を離れちまったみたいだ。

 ま、どうだったんだろうね。あのまま盛岡で暮らしていたらどういう人生を送っていたのだろう。いま思い出したんだけれど、盛岡のオリンピア企画というところの求人を見て面接を受けたんだよ。でも大学院の合格通知が来たので、お断りの電話をして茨城へ行ったのだった。ぼくのことだからまた落ちていたんだろうが、電話をかけるときはどきどきした。合否の知らせを受ける前だったから、もしかしたら受かっているかもと考えるわけじゃない? それを断って関東に帰るってのは人生の選択で大きかったわけでさ。