『マイ・バック・ページ』

 実家に帰り、タイミングがあったので『マイ・バック・ページ』を見てしまう。これって川本三郎さんの自伝だもんね。実に、実に、面白かった。久々に妻夫木君の演技を見たけれどすばらしかった。松山ケンイチも頑張っていたし。リアリティーなんて声高に言わなくても、しっかり時代考証されて描き出された背景の前で、きちんと場面場面を積み上げていけば、そこにはゆるぎなくて隙のない事実に基づいた物語が立ち上がってくるもんでね。事実に依拠したからには、このくらいの重さを持っていてもいいんじゃないだろうか。「これは事実に基づいた物語です」といった断り書きがあまりにも多くなってきたけれど、それを希釈してエンタメにする方法は見飽きた。うまくいっていない例も多いし。端から端まで丹念に描いていけば、客に媚びるエンタメなんかより観る人の心に響く物語が描けると思うんだけれど。

 舞台は1970年くらい。「運動」をしている松山ケンイチは偽物なのだけれど、本物になりたくて自衛隊を襲わせる。取材をしていた妻夫木君は雑誌で記事にしようとしていたが、世間の判断は松山ケンイチを思想犯と認めず。ただの傷害事件となり、思想犯と信じて追っていた妻夫木君は加担したとみなされて逮捕。松山ケンイチは「記事が出ればぼくは本物になれるんですよ! 書いたあなたも本物になれるんですよ!」

 本物になりたいって気持ちはぼくにもあったと思う。でも、その本物ってなんだったのだろう。ご近所シンガーソングライターの子はいまでも言う。そして、本物になりたいという言葉はなぜかフジタ君を思い出させる。本物になれても、なれなくても、時は流れて歳を取る。映画では忽那汐里ちゃんが次の世代の輝きとして描かれる。あとから生まれてくる世代は、至らないけれども純真で、シンプルな分強くて、まぶしいのだ。たとえいつかくすんで、過去を振り返るときがこようとも、このサイクルは繰り返されるのだろう。