『ふがいない僕は空を見た』

 読んだのだけど。もうみんな絶賛の嵐なんだけれど。選考委員たちまで絶賛で気持ち悪い。世間がこういう反応をしていることで、久々にちょっと揺らいだ。ここまで戯画的に描かないと届かないんだろうか。コスプレ人妻との不倫セックスや、不妊治療についてや、貧困家庭などについて、とてもセンシティブで言葉にするまでに葛藤があるべきものなのに、引っつかんで、引きずり出して、ある程度整えて投げ出したみたいな印象。テーマとしては大切なものが多いのだけれど、なんなのだろうこの問題意識の希薄さは。みんな借り物のテーマじゃん。懊悩が上っ面じゃん。多分だけれど、作者さんはいろいろと取材したなかからモチーフを選び、物語にしているのだろうが、ここに本人が悩んでいることなんてないんじゃないかな。あるいは、悩んでいる人がすぐそばにいないのだ。だからこんなふうにデリカシーの欠いた言葉にしてしまえるのだ。たとえば瀬尾まい子さんとかも重いテーマをモチーフにしていても、それをどう物語に沈めていくか、出口となる希望が嘘じゃないか、真摯に向かっている気がする。
 そうなんだ、投げっ放しが美点と受け止めてもらえるんだ。ぼくはなんだかんだ言って10年近くこの仕事をやってきたけれど、いまだにたった一文字さえ書けていない陰惨な場面や、むごい死を見てきて、きっとそれらは物語に消化できないし、書いたら自分を軽蔑する。
 近すぎるのだろうか。借り物じゃないから、言葉にできないのだろうか。ともかく、こういうものが圧倒的支持を得て、中央の賞でも激賞されることにびっくりして、ちょっと自分がやっていることを改めなくちゃならんのかと初めて悩んでみた。だって本当に浅かったし、文章もまずかったもの。みんな右にならえで褒めちぎっているが、誰か指摘する人はいないのだろうか。なんにせよ、契機になった気もする。