転機

 先日、つくば市に墓参りに行ってきた。22歳で自死した男の子で、ぼくの本をすごく好きだったそうだ。前日までぼくが出した2冊目の本を読んでいて、机にはページを開いて伏せてあったという。美談のにおいがするかもしれないけれど、自死を選ぶまでの現実は、むごいのひと言だった。

 作品を世に出して暮らしている自分としては、深く考えさせられる出来事だった。簡単には言葉にできない。できてもこうした日記上で人に見せられる形とならない。

 深く突き刺さったのだけれど、引っ張られることはないようだ。たわんで、逆へと向かう。むかしからそうだった。つらければつらいほど、明るい方向へ向かう。プラナリアの光走性みたいだと思う。

 昨日はイワタ君から電話があって辞令が出たという。新人賞の最終選考に残ったときからずっと面倒を見てもらってきて十年目を迎えるところで、離れることになった。新人賞に応募した作品を書いた時点では、想定する読み手は自分しかいない。そこから担当さん→読者と増えていく。ぼくにとってイワタさんは自分以外の初めての読み手であり、ずっと支えだった。

 脛をかじっていたんだと思う。デビューさせていただいたところのイワタさんとエグチさんさえいれば、ずっとやっていけるような甘えがあった。他社の担当さんの名前すらろくに覚えない始末。本当によくしていただいて、ぼくは自分以外でここまで実力以上に優遇されている作家を知らない。

 デビューしてから初めて不安になって、でも例の光走性で浮上するんだろうと思う。いろいろと手を離し、また違うものをつかんで、育ててもらった恩返しをしなくちゃならない。ぼくはいつも気づくのが遅い。あとから追いかける。その分、なんとか上回りたいと思っている。上回ったもので恩返しがしたい。