たまには

 世間と隔たりのある生活をしているし、勤め人でもないので、いやな人間と出くわす確率は低い。気の合う人たちとばかりここ一、二年過ごしてきて、ある意味平和ボケしているわけだけど、ときどき初めて会う人も参加している飲み会へ行くと、ああ、やっぱりこういう人が嫌いなんだな、と久々に再確認したりする。
 今回、会った人はツイッターでは2、3回やり取りをやったことのある二つ年下の女性で、飲み会で初めましてだった。たまたま同じテーブルの向かいの席に座ったわけだけど、同席したほかの面子である四人はみんなぼくの知人。山部の部長や、美術館などへいっしょに行っている子。親しい人ばかりだ。なのに、二つ年下のその女性はぼくを指差し、みんなにこう言ったわけだ。
「この人、駅のそばのココイチでカレーばっか食べてんのよ」
 この二つ年下の女性、ぼくと同じ市内に住んでいて、最寄り駅の話がツイッターで出たときに、たしかにそのココイチへいつも行っているとツイートした。けどさ、初めて会ったおまえに「この人」呼ばわりはないだろう。もう二十年前から苦手なんだよ、呼び方ひとつから垣間見えてしまう、距離感間違っちゃっている人ってやつが。このテーブルでいちばん親しくない人間はおまえだぞ。なにを親しげに「この人」呼ばわりを。

 呼び方ひとつで相手が自分にとってどのようなポジションにあるのか、周囲に示したい人間っているよね。後輩の女子同士の話で、ひとりの子がもうひとりを苗字で呼びつけにする。同い年なんだけれど職業的に先輩後輩に当たるから、おかしくないといえばおかしくないと考えることもできる。でも、呼びつけにされている子の彼氏がそれをいやがっていて、同席していて実は腹を立てていたのだとか。いまでもすごく嫌っている。自分の目の前で彼女が呼びつけにされるのがいやだというその感覚、わかるんだよな。親しいからと呼びつけにしているのかもしれないけれど、滲んできてしまうんじゃないかな、上下の意識ってやつ。

 仲がいいんだから別にいいじゃない、というのがイヤだ。そういう人は「友達なんだからこれくらいの気持ちは見せてもらって当然」という甘えがある。やさしくしてくれ、親身になってくれ、とうるさいのだ。親しいから友達なのであって、友達なんだから親しみを見せろというのは違う話。でも、それを要求する人間はごまんといる。恋愛でもそう。今回飲み会で会った女性は、同じ市内に住んでいるというそれだけの関係で急に「この人」呼ばわりだ。いや、住んでいるところが近いだけで、親しさは別ですから。でも、それをわからん人は多いよ。同じ中学だったから、同じ町の出身だから、とわかったとたんに扱いが変わるのと似ている。おらほの町の出身の作家だとわかったとたん、妙な親しさとあなたを思ってという駄目出し。だからさー、たしかにこの町出身だけれど、それと親しさは別だろー、といつも思う。そして親しさを履き違えるのをやめろー、と。こういうことを考えていると、同じ高校の先輩後輩というだけで蹂躙されていた偽コンの大学時代の残念さが頭をかすめる(笑) ○○の関係なんだから、○○してもらえるのは当然、ってのは苦手だし、やめよーぜー、なのだ。


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 本日、船木が防衛して、リック・フレアーが欠場。開場五分前に欠場のアナウンスってひどい話。秋山たちNOAHを辞めた五人は全日へ。チーム名はバーニングだそうな。そして、裏ではこのバーニングを全日と新日がうまく共有していくのだとか。22日に出た宝島の「プロレス 暗黒街」手に入れなきゃな。そうそう、NOAHでマイバッハ谷口の2号が登場して誰かと思ったら、どっからどう見てもSUWAじゃないか。復帰するのかな。KENTAとさんざんやり合ってから引退したが、繋がりがあったんだな。