盛岡

 大学の進路に関するセミナーの講師として呼ばれて、盛岡に久々に。雪の盛岡といえば大学受験を思い出す。あれも2月だったっけ? ぼくはなぜか北ホテルをあてがわれて、そこから大学に行く方法が分からないので一度駅に出てそこからバスに乗った覚えがある。ホテルでいっしょの部屋となったハヤシ君はいまなにをしているのだろう。ぼくの高校からこちらの大学に来る人はまずいない。結局、ぼくは誰も知らないところへ単身進んだようなものだった。

 久々なので駅から歩いて大学まで行った。旧正門を入っていって洗心亭がないのはなんだか不思議な光景だ。農林高等学校も学食も植物園のガラスハウスもそのままなのに洗心亭がないなんて。

 講演は三十分のみ。講演料は出ない。交通費と宿泊費は出た。学部のOBだからまあいいのだけれど。講師はもうひとりいてまだ27歳の女の子だった。福島県庁で東電の賠償金額を算出する仕事をしているそうな。当時暮らしていた人たちからの陳情の電話を受け、それでいくらお金が引き出せるのか、あいだに立つのだという。ぼくなんかよりはるかに尊い仕事だと思う。

 あいかわらずぼくはコミュニティに属するのが苦手で、大学OBという集まりも得意なほうじゃない。そういうくくりでなくても思い出話はできる。最終的にそのコミュニティがいかにすばらしいかの話になってしまうと作り笑いを浮かべるようになってしまう。今回現役の学部生がたくさん来ていて、OBが15人ほど集まっていてアドバイザーとして発言していた。偉い人はたくさんいた。銀行とか県庁とか建築会社とかテレビ局とか。「おれたちの頃は」という話が延々と続き、少しばかり学生に同情した。まあ、OBさんたちもそこは敏感に察知して方向修正していたけれども。

 一次会はホテル東日本の裏あたりで。二次会は菜園で。ぼくらは学生だったから菜園で飲むことなんてなかった。せいぜい大通り。上田通りなんていまは飲み屋が全然ない。さわも閉店していた。