ゆるゆると

 ログインのパスワードを忘れてしまって日記が書けなかった。パソコンを買い替えたらみんなわからなくなってしっちゃかめっちゃかだ。

 前回の日記が一月。その後、うちの犬が高齢のために春を迎えられるかどうかわからない、とセンチメンタルになっていたのにいまやゴールデンウィークも越えた。見た目はもう痛々しい。イボはたくさんできているし、老齢性の白内障で黒目は青白い。でも、元気だ。毎月エコーと血液検査をしているのだけれど悪いところがない。たぶん、ぼくよりも健康にお金をかけている。ぽっくり行くとしたら一年に一度だけ市の簡単な健康診断を受けているだけのぼくのほうだろう。

 はてなには書いていなかったが日記はつけていた。三月には同じ写真展グループの最年長メンバーが肺がんで亡くなった。漫画の編集者で「三つ目が通る」も「釣りキチ三平」もその方が担当していた。アフタヌーンの編集長も務め、ヤンガマでは「AKIRA」や「攻殻機動隊」も担当していた。73歳で亡くなってしまった。本人もまだまだ生きるつもりだっただろう。

 ぼくが小説の新人賞をもらった次の年、同じ新人賞を受賞された方は講談社系の編プロで働いていて、やはりその亡くなった方の下で働いていたそうだ。ぼくと同じ高校出身の方で月刊マガジンの編集長をされていた方がいて、その方とも面識があったのだけれど、お二方とも葬儀に来ていた。

 毎年神保町で写真のグループ展をやっていて、亡くなったその人が唐突に「Sさんはロマンチストだよな」とぼくに向かって言ったことがあった。京都の大学で創作系の授業を持っていて、小説の批評もしていたので、ぼくの本を読んでくれたようだった。でも、その人のほうがよっぽどロマンチストなのだ。酔っ払うと中原中也の詩をそらんじた。大学では詩の研究をしていて詩人になりたかったそうだ。講談社も群像への配属を希望。ゴリゴリの文学をやりたかったのだろう。いまはもう教養主義が死んで、読んでいて当たり前の本とか知っていて当然の映画みたいなものはなくなってしまった。スマホで調べればなんでも出てくる。詩を覚え、酔ったときに口にしてみせるようなロマンチストはもう現れないだろう。

 伝説の編集者とまで言われて、漫画家に多くの名作を描かせたその人だけれど、コピーライトは持っていなかった。自分の版権だ。それで表に出てみたくなったのかな、なんてふざけて言っていたことがあった。写真を作品として残して、自分のコピーライトを得たかったのかも。写真は遊びでやっているとも言っていた。本当のところはわからない。そのあたりを見せないところ、とても大人に見えた。