PC

 十年ぶりにパソコンを買った。いままで仕事はネットに繋いでいないノートパソコンで打ちこみ、データをUSBにコピーして、それをデスクトップのパソコンに差してメールで送ってた。で、ネットにつながっているパソコンはメールの送受信用でほとんど使っていなかったのだ。

 けど、新しいノートパソコンにしたら、あら快適。実家に持って帰っても実家のWi-Fiからつながるし、すぐにこの日記も書ける。以前のようにデスクトップを立ち上げて、やっと日記を書くという面倒がなくなったというわけだ。


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 昨日は写真教室に行ったあと(以前はフィルムだったけれど今回はデジタルを習いに)、知り合いの女の子のイベントへ。その子は演技未経験にもかかわらず、劇団のオーディションを受けに来ていて、そのときの飛び入り審査員がぼくだった関係もあり、いまだにやり取りが続いているわけなんだけれど、あれから五年あまりが経ち、その子はそこそこ人気のある劇団に所属して役者を続けているのだ。で、イベントは2017年のベスト映画を劇団の人たちが発表というもの。見たものもあるけれど、けっこう見逃しているんだなあ。

 今年は『メッセージ』、『ドリーム』、『シンクロナイズド・モンスター』がよかった。昨日、元グラビアアイドルの女の子が紹介していた『ハクソーリッジ』はとても気になった。よく音楽モノと怪獣モノは映画館で、と言っているけれど戦争モノも実は劇場で見たほうがいいんだよなあ。


 うちのワンコの右目が傷ついてしまい、病院へ。元々左目はほとんど視力がないので右目が傷つくと、まったく見えない状態になってしまう。まあ、老齢性の白内障で見えにくいところを、自分の狼爪で引っ掻いて傷つけてしまったのだろう。もはや晩年も晩年の最晩年。後期高齢ドッグ。よろよろのよれよれだけれどボケずに穏やかに暮らしてくれているのはありがたい。サクマさんちのクリは最後はおボケになられていたもんなあ。あれはあれで大変だったと思う。

 われらが阪神交流戦負けナシだったオリックスに快勝。しかも金子千尋に勝ったのは大きい。野手の選手層が厚くなってきたのが勝因だったけれど、最近は投手も厚くなってきた。昨日投げた秋山なんて菅野にも投げ勝っていたからなあ。去年、若手を我慢して使ったことが実を結んでいる気がする。その点、巨人は悲惨だ。そもそもドラフトで取ってきた選手たちはどこへ行った。ドラフト戦略からしてまずいのかも。坂本以降で戦力になる選手が出てきていないって球団としては壊滅的になるのも当然かと。

 来週から神保町で写真のグループ展。今年はなぜか幹事に任命され、あれやこれや。でも、会期の後半は取材と講演会でまったくいないのだ。申し訳ない&ちょいと片手間になってしまう。

トラウマなんて

 献本してもらった本を読む。それはその書き手さんが幼少期を海外で過ごし、しかもその国が途上国ゆえにトラウマを残し、大人になってから女性と関係を結べないというものだった。でもさ、アジアでも南米でもアフリカでもどこでもいいけどさ、そこで暮らしたからと言って大人になって女性と関係を結べないというのは飛躍というものでは。書き手として自分の体験を物語に生かしたいのはわかるのだけれど、意外とそれは難しい。たぶん、歌詞もそうなんだろう。自分の体験はモチーフやモチベーションにはなるけれどもそのものを書いたら作品にならない。本当のことをフィクションに生かすのは難しい。ズレが生じるのだけれど本人にはそのトラウマ的なものが大きいので、ズレに気づけないのだ。

 はてさて、交流戦パ・リーグが強くて敵わない。阪神と広島は頑張っているほうだ。巨人は悲惨極まりない(笑) 

排熱フィン

 いまこの日記を書いているデスクトップのパソコンはもう十年前のものでたった2ギガしかない。いまの時代のネット事情になんてとてもじゃないがついていけないし、デジカメの画像もデータが大きすぎて取り込めない。
 さらに、ここ半年くらい排熱フィンの音がバカみたいに大きくなってしまって、デスクトップに向かう気にならなかったのだ。それはもう本当に大きな音で机に向かっているはずなのに紡績工場の中にいるみたいだった。フィンの音と言うよりも、ヴィーーーーーンというモーター音みたいだったから。デスクトップに向かっていると頭痛がするくらいの騒音だった。

 で、パソコンをバラして掃除すればいいのだけれどそれも面倒で、買い替えどきだよなあ、なんてヨドバシカメラに行ったりしていたんだけれど、ふと思い立ってエアーダスターを買ってきてブシューと吹きつけたわけ。すると埃が出るわ出るわで、噴射ノズルを間違ってフィンにぶつけたところさらに埃の塊が出てきて、ひと通りエアーダスターをかけたらこうしてデスクトップに向かえるくらいまでには静かになった。

 話は変わるが人間は記録することで記憶するそうな。つまり、書いていないと記憶は濃厚には残らない。だったら書いてみようかな、なんて再び日記に向かってみた。まあ、でも、十代二十代の頃はこんちくしょうと思うことがたくさんあってそれを解消するために、あるいは整理するために、日記を書いていたもんだ。ところがいまはむかつくことからうまいこと逃げられるようになってきているし、精神的に頑丈になってきている。こんちくしょうと文字を叩きつけるようにして書くことが少なくなっているんだな。

 でも、あえてほじくり返して書いてみるかな。

遠くなく

 連日、火事のニュースが流れるアスクルはぼくが関越自動車道を使って実家に帰るときにその前を通っている。へえ、こんなところにアスクルがあるんだ、なんてのんきに思っていた場所があれほどの火事に。

 先日、谷口ジローさんが亡くなった。アトリエがうちのワンコがヤングだった頃の散歩コースあたりにあると聞いていて、いつかばったり出会えるんじゃないかなんて考えていたけれど。

 九州のとある文学賞を受賞された秋田の女性が、うちのすぐ近くにある居酒屋で飲んでいたそうだ。犬の散歩仲間からラインが来た。「変な人だったよ」とのこと。そうなんだよ、この人種はいかんのよ。ぼくはなるべく業界から距離をおきたい。メインストリームなんて真っ平ごめん。結局その業界のしきたりなんかに付き合わされることになる。

 まあ、先人やその業界の人々の言わんとしていることはわからないわけでもない。たとえば、うまくなるためにはとにかく枚数を書け。文化系の業界かと思いきや、実はその真髄は体育会系といっしょ。たしかにそうなんだ。たくさん書かないとうまくならない。多産はそれだけでも才能とされる。ソープへ行けの北方センセーなんて人を招いてパーティーをやってみんなが寝静まったあと自分も酒を飲んでいたのに書き始めるという。一枚でもいいから書くんだとか。でもってデビューさせてくれた出版社に売り上げで恩返しをしろ、なんていうバイアスもある。書かない人間やうまくならない人間は肩身が狭くなっていく。それはどんな業界もいっしょかもしれないけれど。

 でも、ぼくは書きたいときに書きたいように書く。プロに徹しろという意見なんて屁にも思わない。ぼくはぼくのやりたいことを自由にやりたいからこの仕事をやっている。業界や一部の通のウケを狙ったもの、しきたりに則って書かれたものなんて面白くもなんともない。
 たとえば、出版社は作家に書いてもらうために、一編原稿用紙40枚程度の短編を月刊誌で書いてもらい、そらが七編くらい集まったら本にしている。もうこの形式がすでに読み物としてつまらないものをたくさん生み出す背景になっている。続き物の長編で書いてもらうパターンはもちろんある。でも、この同じテーマで七本ほどを集めて一冊という形、結局そのテーマを借り物としかせず、物語が浅瀬で終わってしまう。モチーフとなったものの周辺をなんとなくいい雰囲気で描いて終わる。それがものすごく上手い人もいるのだけれど。

 うまく言えないんだけどさ、新日本プロレスがプロモーターや上で絵図を描いているやつらのおかげでたしかにいまは客が入っているわけだけどさ、そんなアメプロみたいにストーリーありき、プッシュされているやつが優遇されるようなプロレスなんて面白くないんだよ。客を沸かすためにやっているプロレスなんて面白くない。そうした筋書きの中でも「こいつには負けたくねえ」「ぶっ殺してやる」ってやつが感じられないとつまらないの。ストーリーの中でのレスラーの裁量が生かされないプロレスなんて駄目だ。自由がないプロレスなんて。傲慢でもコンプレックスでもいいから、そいつの根っこを見せてみろよ。

 そういうことを小説にも思うの。客を沸かすためにプロレスやってんなよって。

冷麺

 高松の池からマッハランドへ抜けた。実は高松のモスバーガーへ寄ろうとしたらなくなっていて、しかたなく検索したらマッハランドの前にできていたのだ。気分はマックではなくモスだった。

 帰りの新幹線は19時50分でそれまでフリーだった。自転車で回れるだけ回ろうと思っていたのに、昨晩はしこたま酒を飲んでしまったし、モスの店内は暖かくて眠くなってしまった。結局、舘向を抜け、大学構内を走り、山田線を渡って本町へ。盛岡中央郵便局の前を通り、映画館通りに。そのあたりでなんだか疲れてきてしまった。雪もひどくなってきたし。映画でも観ようかと思ったがタイミングが合わない。MOSSというショッピングモールのようなものができていて、映画館も何スクリーンかあるようなので寄ったがここも駄目。同じビル内にあるジュンク堂でぶらぶら。いったい何をしているんだろうという気持ちになってくる。

 思えば学生のころもこういうなんでもない時間を過ごしていた。金がないけど時間はあった、というやつだ。自分でも何を待っているのかさえわからないのに、とにかく何かを待っていたような気がする。ガツガツと動くような学生じゃなかったんだな。

 待つと言えばミウラヒロコをよく待っていた。あの子は一週間のうち6日は用事を入れるようなタイプだった。うちの妹といっしょだ。あの子は英会話教室、土井先生の稽古、アルバイトふたつ、IBCの話し方教室とほかのなんかの教室と、ともかく忙しい人だった。ある意味、正しい学生だったのかもしれない。ガツガツしていて。その割には英検2級が何度受けても受からず(教育の英語科だったのに!)、暇潰しにいっしょに受けたぼくが一発で受かってしまったものだから、なんだか微妙な感じになった。その後、彼女は新設された英検準2級というやつを受けて合格していた。たしかタテオカさんも同じように英検準2級をやっと受かっていた覚えが。当時、彼女も開運橋のふもとにあった英会話教室に通っていたのに。

 アイフォンの充電がしたくてホテルロイヤル盛岡の一階にできていたスタバに入った。ここもミウラヒロコやクワジマが結婚式場の巫女としてアルバイトしていたところだ。17時になったので駅に向かう。駅前のぴょんぴょん舎でひとり焼肉と冷麺。学生の頃、ここの社長さんと面識があった。北の人だった。いっしょに留学生に日本の文化を紹介するボランティアを少しだけやった。というか、巻き込まれた。息子ふたりの家庭教師をやらないか、という話もあった。うやむやにしたけど。
 久々に食べた焼肉と冷麺はうまかった。自分の人生が何をどうしてどこへ向かっているのかさっぱりわからないけれど、いまじゃ叙々苑の上のクラスという位置づけにある游玄亭で焼肉を食べさせてもらったりしている。でも、やっぱり盛岡の焼肉を冷麺はうまいんだな。貧乏学生ゆえのお情けで食べさせてもらっていた焼肉と冷麺を自分の金で存分で食べる。うまいよ。

高松の池

 2日目はレンタサイクルで街中を散策した。大通りを抜け、県民会館へ。知り合いのイラストレーターさんがブータン展のコーディネートをやっていて、せっかく盛岡で開催しているので寄ってみた。県民会館の地下なんてウエガキの書道展以来だ。その後、中津川を渡ったところにある「ひめくり」へ。おしゃれな雑貨屋さん。こちらは知り合いの版画家さんが商品を納めているので覗いて見た。

 那須川の自分が住んでいたアパートの前にも行った。あのあたりはまったく変わっていない。この二十年、時が止まったかのようだった。バイトしていた児童館へ抜ける。モリさんのアパートへ遊びに行ったことを思い出す。銀行員として働いていた頃で、五十万くらいの羽毛布団を買ったのだと見せてもらった。学生のぼくでも騙されたんじゃないかと思ったけど言えなかった。モリさん自身がとてもうれしそうだったから。

 上田通りを抜けようとしたら雪がボサボサと降ってきてコンビニで休憩。病院のそばにローソンやセブンができている。おしゃれな女子が歩いている。全然違う街になってしまったな、とこのあたりに関しては思った。カレー屋のナインもないし、さわも閉店している。なにより鳥信がない。学生はいまどこで集うのだろう。わざわざ大通り方面へ出るのだろうか。
 学生のときはサワダのアパートもあってよくあのあたりをふらふらしていた。金もないのに「よし、飲むか」と繰り出した。フジヒラさんがセイコを抱っこして走ったのは何歳のときだったのだろう。そんなことをしてもまだまだ許される年齢だったはずだ。

 高松の池に行ったら、盛岡女子高が共学化されて名前が変わっていた。何年か前に講演会で訪れたときはまだ女子高だったのに。池は氷が張っていて白鳥と鴨がたくさんいた。初めて五十円でパンの耳を買い、白鳥にやってみた。今回の盛岡行きで実は高松の池に行ければもうそれでいいと思っていた。久々に冬の池が見たかったのだ。池の周囲をジョギングしていたころが懐かしい。フジタ君を誘って走ったこともある。あのころ、フジタ君は狙っている女子がいろいろいていま思い返せば探りを入れる質問をあれこれとしてきた。

 あのころのことを振り返る人間はいまどのくらいいるのだろう。モリさんやウエガキやフタエちゃんは思い返したりするのだろうか。