グループ展

 今年はグループ展に参加しなかった。今年のために誘った女性を、しかもその人は写真ではけっこう認められつつある人を、きちんと参入させてね、と念を押したのに無視をされたからだ。そのうえで新しくふたり誘っていた。ほかにも声をかけていたそうだ。もう何年も写真から離れていた人にまで。

 無視をした理由は至極簡単。去年誘った女性は五十歳。それより年上の五十三歳の女性がいて、その人はもう二十年近く写真をやっていてやっと今年になって銀座の有名なギャラリーで展示をした。でも、五十歳の人はもともとピアノをやっていて写真歴は五年ほど。それなのに五十三歳の人よりも早く銀座のギャラリーで展示を済ませていた。つまり、嫉妬だ。

 で、その嫉妬した人がスカウトだったので、ぼくが推した人を却下したのだろう。もともと毛嫌いしているのは知っている。好きではない、と酔って口にしていた。でも、却下された五十歳の人はそんなことも知らず、五十三歳の人を同行の士として尊敬もしている。嫌われているなんてつゆも知らないのだ。ゆえに自分が嫌われていて参加させてもらえなかったということも知らない。

 ぼくが勝手に怒っている。頭にきて参加しなかった。たぶん、もうしないだろう。わからんけど。

 大人になっても馬の合わない人はいる。嫌いな人はいる。それは責めるつもりはない。だけど、うまいこと付き合えよ。みんなその五十歳の人が参加するのを楽しみにしていたのにさ。

 誰もこんなことがあったなんて知らない。和やかにやり取りをしている。クソ野郎が。

沖縄

 先週四泊五日で初めて沖縄へ行った。昨年の十月に同い年の知り合いの女の子が沖縄から六十キロ離れた離島に、村おこし的な仕事で赴任し、しかも四か月でその島の人と結婚し、「行ってみたいんですよねえ」と出版社の担当さんにつぶやいたら連れていってくれることとなった。なんても言ってみるもんだな。

 離島には一泊二日。本来はフェリーで行くんだけど点検のため欠航。ゆえにヘリタクシーで。乗り合いのうえに助成金が出ているとかなんとかで、ぼくを含めて担当さんの三人で二万円を切っていた。本来なら十万円を超えるらしい。初の沖縄に、初の離島に、初のヘリ。七百人しかいない島は自転車で端から端まで走っても三十分。なかなか楽しかった。なにより海がきれいで。もう泳げるんだな。

 そのほかの日は本島で。美ら海水族館へ行ったり、首里城へ行ったり。沖縄は酒飲みには楽しい街だ。食事がもうそのようなテイスト。知人の旦那さんが那覇でコーヒーショップを開店して、そこへも行ってきた。足を延ばせば久々に会える人が沖縄にもいる。不思議な感覚。

 実を言えばいまだにもう小説を書くのがいやになっていて、でも、出版社の人たちと旅に出かけ、小説の話をしていると、また書いてもいいかな、なんてことは考える。おとといは実家の県の国語教師七十人を前にして講演会をやってきた。地元出身の小説家という肩書きで呼ばれたわけだ。今週は三月に出した文庫のインタビュー受ける。世間的にそういう人間だっていうふうに外堀を埋められていけば、また書くようになるのだろうか。

 書きたいか、書きたくないか、だったら書きたいのだけれど、それを仕事としてお金をもらうことにはうんざりしてる。クソみたいな連中と仕事をしなくちゃならないから。だったら無理に飯のタネにしないでバイトでもしながら、業過の隅っこでときどき書かせてもらえばそれでいいんじゃないか、なんて気楽に考えたりもする。きっとみんなそんな考えは甘いと一笑に付されるのだろうけれど。

 まあ、もともと売れたいとか、肩書きが欲しいとか、そういうところとは違う次元でやっていたで、またただひとりでシコシコと書いているのが楽しいという状態に戻れればそれでいいのですよ。

ゆるゆると

 ログインのパスワードを忘れてしまって日記が書けなかった。パソコンを買い替えたらみんなわからなくなってしっちゃかめっちゃかだ。

 前回の日記が一月。その後、うちの犬が高齢のために春を迎えられるかどうかわからない、とセンチメンタルになっていたのにいまやゴールデンウィークも越えた。見た目はもう痛々しい。イボはたくさんできているし、老齢性の白内障で黒目は青白い。でも、元気だ。毎月エコーと血液検査をしているのだけれど悪いところがない。たぶん、ぼくよりも健康にお金をかけている。ぽっくり行くとしたら一年に一度だけ市の簡単な健康診断を受けているだけのぼくのほうだろう。

 はてなには書いていなかったが日記はつけていた。三月には同じ写真展グループの最年長メンバーが肺がんで亡くなった。漫画の編集者で「三つ目が通る」も「釣りキチ三平」もその方が担当していた。アフタヌーンの編集長も務め、ヤンガマでは「AKIRA」や「攻殻機動隊」も担当していた。73歳で亡くなってしまった。本人もまだまだ生きるつもりだっただろう。

 ぼくが小説の新人賞をもらった次の年、同じ新人賞を受賞された方は講談社系の編プロで働いていて、やはりその亡くなった方の下で働いていたそうだ。ぼくと同じ高校出身の方で月刊マガジンの編集長をされていた方がいて、その方とも面識があったのだけれど、お二方とも葬儀に来ていた。

 毎年神保町で写真のグループ展をやっていて、亡くなったその人が唐突に「Sさんはロマンチストだよな」とぼくに向かって言ったことがあった。京都の大学で創作系の授業を持っていて、小説の批評もしていたので、ぼくの本を読んでくれたようだった。でも、その人のほうがよっぽどロマンチストなのだ。酔っ払うと中原中也の詩をそらんじた。大学では詩の研究をしていて詩人になりたかったそうだ。講談社も群像への配属を希望。ゴリゴリの文学をやりたかったのだろう。いまはもう教養主義が死んで、読んでいて当たり前の本とか知っていて当然の映画みたいなものはなくなってしまった。スマホで調べればなんでも出てくる。詩を覚え、酔ったときに口にしてみせるようなロマンチストはもう現れないだろう。

 伝説の編集者とまで言われて、漫画家に多くの名作を描かせたその人だけれど、コピーライトは持っていなかった。自分の版権だ。それで表に出てみたくなったのかな、なんてふざけて言っていたことがあった。写真を作品として残して、自分のコピーライトを得たかったのかも。写真は遊びでやっているとも言っていた。本当のところはわからない。そのあたりを見せないところ、とても大人に見えた。

 仕切り直し感のある2018年のスタートなった。

 12月はこの数年でいちばんひどかった。誕生日となると駆けつけてくれたり、年越しをいっしょにしていた友人の子が心臓の突然死で亡くなった。いっしょに八ヶ岳の山小屋に泊まったり、上高地でテントでキャンプしたり、この数年たっぷり遊んできた子だった。12日に四十歳になったばかり。三姉妹で上のお姉ちゃんたちは結婚しているけれど、彼女はしていない。みんなから愛されている人で、12月1日には共通の友人が開店したブックカフェで日本酒飲み会をやったばかりだった。

 仕事は担当編集にひどい仕事をされ、ずっと怒っていた。装丁の面でも文章校正の面でも手抜きで無神経。ほかの作家さんや書評家も驚き呆れていた。早い話が仕事をまったくしていない。それどころかこれから出そうとする本を殺そうとするようなことをされた。すごく怒ったのだけれど本人はまったく気にしていないのだろう。校正がザルで、再校もザル。こんなことは出版社ではありえない。しかも再校の原稿をチェックする時間を一日しか与えられず、徹夜でやった。句点と読点が間違っていようが、登場人物の名前が変換ミスとなっていようが、四文字熟語が間違っていようが、まったくスルー。ルビも初出ではないところにつけられ、なぜそれをぼくが訂正しなくてはならないのか。眠らないまま出版社に持っていき、そのまま告別式へ向かった。

 あまりにも怒りすぎて、あまりにも悲しくて、神経性胃炎に。風邪をひいたら急性胃腸炎になってしまった。下痢と嘔吐と発熱でずっと倒れ、三日間アクエリアスで過ごす。31日にやっと白粥を食べた。

 ぼくは別に売れっ子になりたくてこの仕事をやっているわけではない。もともと売れている本を読んで育ったわけでもない。この業界の隅っこで好きなことを書いて気楽にやっていきたいと思っていた。でも、取るに足りない書き手と見下され、適当な仕事をされるのであれば、この考えを少々改めなくてはいけないのかもしれない。作家によって態度を変える編集なんてクソの権化だけれどさ。

金成

 奥の細道を歩いて回る取材旅行が、とうとう平泉まで。最北端まで来たよ。ここからは仙台方面へ。その後、山形経由で日本海に抜ける。まだまだ先は長い。つうか、お遍路のときもそうだったけれど、よくもまあこんな途方もない取材に大金を注ぎこんでくれるもんだ。たぶん、もとは取れないぞ(笑)

 一関手前の金成を歩いた。ヨシミちゃんの実家の運送屋はどこだろう、なんて思いつくがわかるはずもなく。ともかく、分割しているにせよ東京から岩手まで歩けるもんなんだな。お遍路は1,200㎞くらい歩いた。今回は2,000㎞を超える。同業者からは「いったいあんたなにをそんな非効率的なことをやってんの」と笑われる。うらやましがられもする。お遍路はたぶん三百万くらい取材費がかかっている。今回はもっと。だから、うらやましがられるのだ。「いいなあ、おれなんて全部グーグルアースで調べてるんだぜ」なんて。

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 今度本を出すんだけど、どうも装丁で折り合いが悪い。内容を読んでくれているなら、そういうパッケージングはしないと思うんだけど。こういうのってどんな世界でもあるんだろうな。作った側の本意とは別に、売り手の売り方のためのパッケージ。どんなジャンルなのかカテゴライズして、買い手はこんなもんだろうと想起して、と会社の人たちは動いていく。そもそもそうしたマーケティングでハズしまくっている商品って世の中にあふれているもんであって、そうしたハズした商品に仕立てあげられたときには、作り手の意図なんて地平線の彼方くらい遠くなってしまっている。

 わかった。もう、これからは全部に口を出していこう。事細かに注文していこう。

終わらないったら終わらない

 一度七百枚くらい書いて終わった原稿を、最初から手直ししている。二年ほど前に書いたものなので、自分でも読んでいてなにが書いてあるかよくわからない。まるで他人が書いた文章のように読めるので、ある意味公平に手を入れられる。のはいいのだけれど、公平に見れば見るほど下手くそだなあ、といくらでも直せてしまうので終わらない。

 一日パソコンに向かって集中できる時間なんて限られている。十時間は無理だ。六時間くらいが妥当だろう。となるとその六時間を昼間三時間、夜三時間に分散して仕事するようにする。が、これがそううまくいかない。犬の散歩や食事の用意などなどあれやこれやと所用で出かける。たぶん、家族のいる作家よりは楽なんだろうけれど、それでも自分のペースで一日を過ごせない。ともあれ、金土日は取材で歩く。明日できるかぎり進めておかなければ。

締め切りが近く

 来年の一月に出版しようとあれやこれや。二月には文庫化するものがあるのでその作業も。三月には文庫書下ろしが。並行しているのでいっぱいいっぱいになる。もともとたくさんは書けないし、気が向かないと書かない。たぶん、職業としては向いていないのだと思う。が、きちんと書こうと思えば書けてしまう。今回のものはだいぶ担当さんが絶賛してくれていて、ぼく自身もまあよかったかな、と思っているので、まだ書く立場でいられそうだ。

 今日はサクマさんがこっちまでやってきて、肉を食った。やっていることは二十年間変わらない。おそろしいものだ(笑)